2026年11月4日いまだぁ~
子どもにもこんな瞬間があるのでしょうね。毎日毎日飽きるほど、土山に水を流し、どろんこまみれになって滑り、転げまわり歓声を上げる子どもたちの表情は、輝いています。 ここでようやくこの面白さにはまった子が居ます。今では誰よりも逞しく水を運び、滑り方を工夫し、歓声を上げています。雨が降れば、水を撒く必要はないと、合羽を着込んで飛び出していきます。この春には、土山のてっぺんまで行くのも怖かった。降りるのはもっと怖い。少しずつ少しずつ試してみる。滑って転んで失敗するのは嫌だった。今では滑るのがおもしろくなっているのですよ。ちゃんちゃんと面白がって遊ぶ子どもを横目で見ながら、まだまだ「GO―!」サインは出てきません。
ホースの水まき、シャベルの穴掘り、先生の手を離すことが出来ません。そんな自分を情けないと思って居るのではないかと思われる節もあって、と言うのは、これは私の大人感覚ですが、彼が自分から踏み出すのを待つしかありません。お父さん、お母さんも、せっかくのびるねに入園して、逞しく遊んで欲しいと願っていたのに、なかなか思って居る様にはならない様子に不安や心配もあったでしょうか?でも無理強いすることなく、今のありのままの姿を見守ってくれていたと思います。だからこの変貌ぶりは嬉しいでしょう。お母さんたちは毎日、ほとんど泥の塊なのではないかと思う様な洋服を持ち帰り、洗ってくれています。
「またお尻が破けてる」と苦笑いのお母さん。普通の幼稚園、保育園なら、苦情のひとつも来そうです。
私は昔からこの泥んこ遊びが大好きでしたから、子どもたちにはみんなこの楽しさを味合わせたいと思って、泥んこになりたくない子にも、半強制的に泥んこ遊びをさせていたことがあります。本当にどうしようもない保育士だったと思います。嫌な事を無理やりやらされて楽しいことなどありません。やってみて楽しさが分かる事もありますが、やってみたいと思い、自分の意志で自分で決めて自分で一歩を踏み出す経験と、やらされて、その結果に出来るようになったのでは、雲泥の差があるのです。
のびるねは、森のようちえんと言っていますが、森があるわけでは無く、里山のようちえんと言った方が良いでしょうか。人々の暮らしの中に守り残された自然環境を、今使わせていただいています。この環境の中では、大人主導の決められた遊びや、大人の指示で子どもたちを動かすのは本当に勿体ない事です。子どもたちが自ら見つけたり、仲間と考えたり、チャレンジしたりして遊びを生み出していく事を待つことがとても重要なのだと思います。一人で遊んでいることを心配する大人も多いのですが、好きな事、興味のある事、夢中になる事は違います。夢中になると手がかかりませんが、ほったらかすのでは無く、その様子をしっかりと見ていることが大事なだけです。先生の名前が沢山聞こえる時は、「あー今日は遊べていないな」「先生がリーダーの日だなー」と思う事があります私たち保育士はどうも何もしないでいることが出来ない体質の様ですね。親たちには「子育ては待つ事」と言いながら、保育と言う名の下で、待つことが出来ないのは保育士たちかもしれません。
こののびるねの環境をどう子どもたちが使いこなすのか、楽しみに見守りたいと思います。
