2026年2月24日考える事
久しぶりの保育の日、子どもたちと「のびるねの森」から富岡保育園まで行きました。1 本道は走ったらすぐに目的地に着いてしまいます。でもちゃんと道草するところが見つかるんですね。「あれ、火が見えるね」「焚火しているんだね」と言えば、すぐに横道にそれ原っぱの方に歩き出します。
大きな穴をみつけました。恐る恐る近くまで行ってみると、穴の中にはたくさんの廃材や草やごみも入っています。「落ちたら大変だね」ごみの山を見て足が止まります。もし何もなかったら、穴の中に降りて行ったかもしれません。
穴の向こうに見えるおじさんに「おはよう」と声を掛けます。暖かく燃える火を遠くで見ながら、こちらのおじさんにも「おはよう」と手を振ります。こうやってご近所さんと仲良しになって欲しいです。帰り道も、ふと「もりあね」さんのお庭を見たら、かわいいブランコが見えました。「ちょっとおじゃまします」ちょっと処ではなくだいぶ長い道草になりました車も通らないこの森だからこその散歩です。道草大好き!ありがたいな~と、この環境に感謝しながら過ごしたいです。
考える事
子どもがもくもくと遊んでいる様子を見ていると、「何を考えているのかな?」と思うことが良くあります。レールを一生懸命つないでいる時も、”こっちかな?反対かな? “ブロックを組み合わせている時も、すいすいと動いた手が一瞬止まって迷っているような時もあります。

この日,Yちゃんが富岡保育園の砂場で一生懸命砂遊びをしていました。園の子どもたちは一人も庭に出ていませんでしたから、砂場にはシートがかぶせてあります。でもその隙間から上手にシャベルで砂をすくって、おさらに盛り上げるようにしています。少し離れてから戻ってみたら、お盆の上に 4 種類のごちそうを並べて、「食べて」と差し出します。近くのテーブルに行き「ここで食べます」と言うとのびるねの給食のように置いてくれました。お皿の種類も変えて、 いろいろ工夫をした様子が分かりました。先生主導で遊んでいる時は、先生が抜ければその遊びは終わってしまいます。なので先生たちは子どもたちの輪から抜けることが出来なくなることが多いのです。大人は子どもと同じにはいられないので、先々に言葉がけも多くなります。トラブルも起きないようにルールを教えようとする先生もいるでしょう。子どもたちは常に受け身で、考えなくなります。
分かりやすい事例によく出てくるのが、草野球とリトルリーグの環境が整って指導者がいる野球チームの子どもたちの様子です。学びの質が違うのです。一緒に野球をして遊びたい思いで集まる野原の野球は、仲間に入るのも、やめるのも自由、自分たちで考えたルールや工夫は、時にトラブル解決まで自分たちでやって、遊び続けるのですから、とてつもなくたくさんの学びを子どもたちに与えています。

子どもたちは日々の生活の中で、沢山の学習をしています。あそびが学びに欠かせないと言う姿を一番わかるように見せてくれているのが、学校に上がる前の子どもたちなんですね。学校に行くようになると、勉強=学びとなってしまいます。本当なら、学校でも机に向かって先生の教えを受けるだけでなく、正解の答えを求めるだけでなく、自分の考え方を育てる、自分で考える癖をつける、考えを言葉にする力を育てる授業が大切なのではないかと思います。報告は出来ても対話が出来ない子どもたち、大人たちがたくさん育っているように感じます。もう一度今の保育や教育に、遊びが学びに欠かせない“考える力”を育てることに意識を向けて欲しいと思います。絵本作家の安野光雅さんの著書「かんがえる子ども」と言う本を読みました。その中に、『考える』と言う事は、「数学の問題を考える」場合のように、出された問題の答えを考えるだけではありません。「考える」と言うことは、普通に暮らすことです。と書いています。なんだか訳がわからなくなりました。でも今日の子どもたちの姿を見ながら、暮らしの中で考えを巡らせる事を人間はしているのだと思えました。間違えないように、失敗しないように、指示を待ち、そつなくやる事で見える力を成長と勘違いしないように、暮らしの中の子どもたちに目を向けていきたいと思います。