2026年9月7日 “また明日は”平和であってこそ言える
「ご飯だよ~」のお母さんの声が、遊びの終わりを告げます。
「また明日、遊ぼうね」石けりに使った大事な石や、缶蹴りの缶はみんなの秘密の場所に隠します。戦争も終わり「ゆびきりげんまん、また明日」がずっと続いた良い時代を過ごしました。子ども時代は、必ず明日は来ると信じて、楽しみに出来る時代です。そうでなければなりません。
学童の玄関で、お迎えに来たお母さんを前に「帰りたくない」と駄々をこねている子が居ました。通りすがりで見た光景ですから、簡単に結論付けてはいけないのですが、またおせっかいな思考が頭をめぐります。保育園や幼稚園の時代は、まだ明日を想像出来ないので、今この遊びを辞めたら、終わっちゃう。もっと遊びたかった、と迎えに来た親を困らせる事はあっても、小学生は、今やっていることをストップして、この続きを明日やろうと切り替える力はついている筈だと思います。私たちは「帰りたくない程楽しい場所になっている」のだと思うと嬉しくもありますが、明日を待ちわびる生活作りも大切なのではと思います。また家に帰る喜びを大切にする、家での過ごし方も重要です。家族と食べる夕ご飯、家は自分の好きな事が出来る唯一の場所。もしかしたらそんな環境が子どもたちの生活から奪われているのかもしれません。中学生、高校生が、夜の街に出ていき、危ない目に合っていると言うニュースもありました。「また明日」が信じられる居場所づくり、平和な世の中にしていかなければと思った出来事でした。