2025_9_24本物に触れてこそ、心が動き、育つ
暑い暑い猛暑の中の芋ほりでした。それも赤ちゃんの離乳食をお弁当にして、持参すると言う、なんともハードな計画でした。まだ芋掘りなんてしない赤ちゃんを連れてなんて、普通はやろうとも思わないけれど、一人ではやらないけれど、これもみんな一緒なら、「やっちゃえ~!」と計画したら、皆さん参加してくれました。


熱中症も心配でしたね。下見で偶然見つけた涼しい林が有ったりで、大きい子ども達は楽しく過ごして、お弁当が配達されるのを待って居てくれました。お母さん達には「おにぎらず」と言うおかずを全部おにぎりの中に詰め込むお弁当を提案しました。一人1個くらいかな?と思って居たのですが、流石のママたち、ガンガン作ってくれました。収穫と言うのは、私たち人間も動物本能で、ワクワクします。そして何より土に触れることが、心を穏やかに整えてくれます。私が子どもたちに泥んこ遊びを推奨する訳は、私の中に科学的根拠がある訳では無く、自分自身の感覚で土と戯れる行為は、心を開放し体を緩めてくれる最高の遊びだと思って居るからなのです。最近では泥んこ遊びが、免疫力を高めてくれると言う根拠も発表されています。でも大人になってからはなかなか出来ませんね。日常やれるのは、保育士くらいです。なのでぜひお母さん達にやらせてあげたい活動でした。掘っている時も真剣、掘り上げた時の表情は、子どもと同じでしたよ。またいろいろな収穫やる機会作りましょうね。
本物に触れてこそ、心が動き、育つ
私は現在、のびるねに関わって居ますが、保育現場に立つ事は少なくなって来て、時間が生まれるといろいろな所にアートをひっさげ伺っています。生粋の保育士で子どもと遊ぶ事だけ考えて生きてきました。そのテーマは『子どもは限りなく自由で居る事』、理論も実践も乏しく、なかなか思う様にはいかないながら、周りから見ている人たちからは、自由奔放にやって居ると言われていました。退職後に始めた美術の世界は本当に素人です。でもアートに携わり10年以上になって自分が思って居た保育や、子育てに深く繋がっている事に気付き、ようやくそんなに間違えてはいなかったかな?と思えるようになっています。
今、子どもたちの置かれている環境は、コロナを境に急ピッチでデジタル化が進み、実体験、物に触れる事などが疑似体験になって居ます。生活体験が乏しく、自然や事物に触れる機会が少ない事で、五感も働かず心を通した会話も本当に少なくなってきます。感情は学習によって育てられると言います。美しさや楽しさも生まれながらに感じるものではなく、成長の過程で親や大人、仲間との触れ合い伝え合い無くしては育たないと言う事です。
先日のびるねでやったアートで、手を動かし、感触を味わい、色を見つけ、偶然の形に驚きながら、絵具だらけになって遊んだイメージが、その後の給食で、お弁当作りの配色までに繋がっている事に驚きました。



保育も教育も指導要領と言う枠にはめられ、全員その目標に向かわされていく事に不安を感じます。子どもの発達は筋道があり順序があり無視して進める事は出来ません。でも個々の発達をしっかりと掴み、向き合う事が大事です。個人差が大きく、月齢や、年齢では決められませんが、その時々に適切な環境においてあげれば、必ず成長を遂げていきます。難しいけれど「信じて待つ事が何より大切です」
一律の物差しで判断し、評価する危うさは身近にたくさんあります。美術指導でも最終的な完成形を目指してやり始めたら、アートではありえない「失敗」とか「出来ない・わからない」「上手」「下手」と言う結果だけに拘った表現活動とは全く違う体験をさせてしまいます。
今、目の前にいる乳幼児期は、何物にも縛られず、思いを出し、自分のやりたい事を存分にやれる自由を守っていきたいと思います。