2025年4月25日子どものアート

 冬枯れの見晴らし良かった森も町の景色も、あっという間に新緑と色とりどりの花畑になっています。

 寒暖の差が激しく戸惑っていたのでは無いかと心配したが、入学の門出を祝うかのように満開に咲いた桜も、もう葉桜になって、コブシ:ハナミズキにバトンタッチ。ツツジや、藤の花まで咲き始めているのには驚きます。季節が少しずつ早送りになっているのでは無いかと、体の方が追いつかないでいますが、自然は頑張っているな、と感心したりの日々です。水野の森や、下富の里山の自然に触れる毎日で、元気を頂いています。

 先週(18日の金曜日)、水野の森は「おやこぐみ」の活動“ダイナミックアート”で楽しみました。

 大きな真っ白な布を広げ、赤:青:黄色:緑:白の絵の具や食紅を容器に入れ、筆:刷毛:ローラー:スポンジ:霧吹き:何やら画材ではないようなものまで置いて、さあ後は子どもたちにお任せです。

 今日は服も、手足も好きなだけ汚して大丈夫だよ、そんなメッセージをお母さんから貰って居るかな?やる気満々の子ども達ですから、私の導入は1,2本の線を刷毛で描いただけです。

始めこそは道具を手にして恐る恐る描いてみたり、珍しい道具をとっかえひっかえ手にして描いてみる内にあっという間に手や足まで使い遊び始めました。絵具の色は混ざり合い、ドンドン色数が増えていきます。

 もう終わりは子どもたちにお任せです。お腹がペコペコになって居るのも忘れて遊びました。

 こんな遊びは家ではさせられませんし、何回も出来る事では無いと思います。緊張を強いられる初めましてが多いこの時期、子どもたちの心を解放させるには、泥んこ遊びと同じくらい効果的です。子どもたちはただ塗りたくっているのではなく、自分の手や体を動かし、そこに起きる変化に心躍らせています。様々な感触:指跡の変化、初めて見る色が生まれてくる瞬間、それらの不思議に目を丸くして居ました。気付いていたでしょうか?この時大人の指示は一切ありませんでした。むしろ森の中がシーンとする瞬間もありました。

 指示や命令が大嫌いな子どもたちに、最高の時間が作れた日になりました。

 森の遊びの時間は、自由に好きなように過ごしていいのですから、やらない選択をしているのも良い訳です。この日も、アートには参加しない子が居ました。美味しいカートンドッグの準備もしていましたから、食欲が勝っている子も居ました。ようちえん組のAちゃんは、お絵描きは嫌いでは無いのですが、先生たちが誘えば誘う程、お母さんがやらせようとすればする程、逃げていきます。では本当に参加して居なかったのでしょうか?絵の具を触る事はしませんでしたが、この場から居なくなることはありませんでしたし、私が作品に目を入れて鯉のぼりに仕立てている時には、その机の周りをウロウロ、時によじ登ろうとしたり、手にはジャガイモを抱えながら、興味津々である事は間違いないと思いました。いつ手を出すか、いつ面白がって夢中に描く時間が来るのか、私たちは環境やチャンスを作りながら、自分から踏み出す一歩を、楽しみに待ちたいと思います。やらないと、嫌いなのかと決めつけられたり、無理やりやらされて逆に嫌いにさせられたりした結果、本当に自分の好きな事や、やりたい事を見失わせてしまう結果にならない様にしたいものです。デジタルの時代に、子どもたちをどう育てていくのが良いのか、本当に悩みます。もうそこに逆らって生活するのは不可能に近い世の中になりました。だからこそ、きちんと拘らないと大変な事になるのだと思います。子どもたちを自然の中に放ち、自分の体と心を使いあそぶ事。子どもは遊びの中で、知性と創造力を身に着けていくのだと、今日の子どもたちを見ても思いました。(ゆきえ)