2025/11/11 子どもと手を繋いで、街を歩いてみよう ! 

  給食担当の日、キッチンで一人手を動かしていると、森のほうから子どもたちのおしゃべりや笑い声、時に泣き声だったり、癇癪を起こしているような声も聞こえてきます。子どもの様子は見えないのでその場面を想像しながら聞いているだけで楽しくなってきます。子どもの声がうるさく聞こえる時は自分の体調が悪かったり、精神的なゆとりがない時だと思います。保育をしている時に感じるものとまた違って、幸せ感いっぱいになります。給食おばあちゃんもいいね! 

 少子化は進み、過疎の町では廃校になるところもたくさんあると聞きます。昔、子育て仲間と子どもたちを連れて北海道に行った時、廃校になった小学校をお借りして4泊程過ごした事があります。その時近所の方たちが、「あー学校に子どもたちの声がする」「子どもの声がしないと言う事は未来がないと言う事なんだよ」「嬉しいな~」「ありがとう」と大歓迎されたことがあります。子どもが大事にされない社会は、未来に希望を託せないと言う事です。世界情勢を見ても今地球は危ういです。 

 子どもたちと中新井スカイマンションの前にある「富士見公園」まで散歩に出かけました。少し前に、ひまわり保育園まで歩いて行けたので、この日はもう少し先にある公園まで歩いてみようと思いました。でも2,3歳児ですから当然ですが、この日は5人の子どもたちの思いはバラバラで、行きましょう!になるまでが大変でした。みんなをその気にさせてリュックをしょって歩き出したら、もう時計は10時近くなっていてこの日はカートに5人を乗せて出発です。大喜びの子どもたちでした。遊具のないグラウンドの方を駆け回り、斜面を上り下りし、続いて遊具の方ではローラー滑り台や、ブランコ、アスレティック遊具を思う存分満喫しました。帰りもカートなので、ぎりぎりまで遊び、お弁当を運んでもらい公園で食事をして帰りました。のびるねにいたら、豊かな遊びが広がり、飽きることなく遊べます。なのでわざわざ、危険を冒して子どもたちを別の場所に連れ出さなくても良いのではないかと思います。一歩公道に出れば、のびるねの前の道も大きなトラックがビュンビ ュン走っています。散歩中の子どもたちが事故にあったというケースもあります。

 保育としては命がけです。でも保育や、教育は社会と切り離して行われるのは違うのではないかと私は思っています。子どもたちの生きる場所は、安全は保障されている学校や施設の中だけでは無く、も っと地域の中で生き生きと活動できるような世の中であってほしいと願います。夢のようですが、現にイタリアのレ ッジョエミリアと言う都市で実践されています。「子どもは無限の可能性を持つ一人の市民である」とし、地域社会全体で支え、育てる意識は、子どもの見守りや、サポートなども連携して行われ、安心して成長できる環境を作り出しています。子どもたちがいることで、地域は活性化し、繋がりも生まれると言うメリットもたくさんあります。
 今の日本では保育園、幼稚園同士、学校ともが繋がるのも難しいです。先生たち、親たちの意識をちょっと変えたら可能だと思うのですがー難しいのかな?街の中に子どもたちが遊びまわる姿もほとんど見受けられないのですから。だから、のびるねっ子は外に出てフィールドを広げて行きます。一歩外に出れば、好き勝手に歩いたり、走ったりすると危険なことを知ること。だから手をつないで歩くこと、信号を見て横断歩道を渡ること、車の走る所と、人が歩く所を見分ける事、楽しいおしゃべりをしながらの散歩になるのですが時々にたくさんの学びがあり、実体験として社会のルールを身に着けていきます。勿論大人が子どもの身を守るのは当たり前ですが、絶対大丈夫な保証はどこにもありません。大人の目が離れた時も、自分の命を自分で守る力も併せて育てていかなければと思うのです。のびるねにはない環境でのいろいろなあそびが、突然起こるハプニングにも対応できる、自身の身を守る体の使い方を身に着けていくことにも繋がるのです。ひとり立ちして通学が始まる4月に小学1年生の交通事故が多いと言われています。せめて自分の住む街を、ご近所を、子どもと手を繋ぎ歩くことを実践してみることをお勧めします。